過干渉のお母さんが夜寝る時が私の一番幸せを感じる時
今回は、ドラジさん。
お母様からの縛りにずっと耐えてきたドラジさんが幸せを感じる時はどんな時と聞かれると、お母さんが寝静まった頃と答えてました。
もっと言うと、高齢のお母様が入院で家に戻れなくなったと知った時のドラジさんの心境は、やったーって万歳したいくらいだったと心の奥からの開放感を感じるわけですね。
私もね、告白しますね。
小学校の頃、わんぱくで近所の子供を集めてリーダー気取りでみんなを率いて虫取りにいったり遊びの中心にいつも自分をおいていました。本人は、まとめているつもりなんですけれどね。
遊び方を考えたり、みんなを笑わせたりしている内にみんなが私をリーダーとして接して来る様になるんです。
みんなが、喜んでくれるのが嬉しくてもっともっとって関わっていく内に
結果、当然の如く小学校の頃の友達とは喧嘩別れをしたり喧嘩で別れるなら尚良いのですが、気づいたらいつも一緒だったお友達が他の友達と遊ぶ様になったり。
そして、これはあまり言いたくないんだけれどね、結婚当初、オーストラリアに定住していたかった私がドイツやオーストリアに行っている間に英語どころかドイツ語の世界に身を投じている頃、それを不憫に感じてくれていた夫に、甘え放題になったしまいました。
優しかった夫の私への思いは、まるでドラジさんがお母さんの束縛を本心では嫌だったのに耐えてその場を過ごしていたように、夫は私に合わせるのに苦痛になっていく言動が少しずつ見え隠れしだしたんです。
あと少しでも、遅かったら私は大切なものを失っていたと思います。
誰かをコントロールしたり、独占しようとしたり、好きすぎて側においておこうとすると飼い猫でさえ、自分の内から去っていくのだと本当に学びました。
そしてそれは、体外自分の中の日常生活や人生が上手く進めない不満、そして自信のなさから来るものだったのです。
そこで解放が始まった時、対等に付き合おうとした時に、その距離こそが、自立こそがその関係性を深めていくものだと気づきました。
ドラジ(桔梗)の花言葉 従順に従う
心無い大人や子供からのいじめ。そしてお母様からの束縛に従順に耐えてきたドラジさんの半生。でもそこで母親を裏切らなかったのは、お母様の心の奥にある悲壮感だったり、その母の思いを子供ながらに感じ、支えてきたドラジさんの人間愛というかからくる人間分析の力なのではないでしょうか。