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Blog – 100のはな
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あんなに順調だった私の人生だったのに。

今回のゲストは、セーボ。アルゼンチンのお花だそうです。

そう、彼女はアルゼンチン人です。

全て順調だった人生。年頃に結婚して、2人でオーストラリアに移住し、一流企業の会計士として勤め、大好きな愛犬と緑豊かなシドニーの公園をジョギングする毎日。

何とも、映画の一コマのような生活ですがそれがある日突然一変するのです。

それは、海外旅行先の事。

経験のない頭痛と共に倒れてしまい、飛行機で搬送されるまでの脳のダメージが発覚。

そこから、思いもよらない人生が待っていました。

彼女は今、自立して生活ができないのでアルゼンチンからお父さんを呼び出しお父さんの補助をもらいながらの生活。

そんな彼女の幸せの定義を聞くと。

自由があること。子どもをうむ産まないの選択だってそうよね。と。

自由があることって色んな解釈ができると思うんだけれど。

今、世界のどこかでは戦争に参戦していたり。

そうなるともう、あの人が好きとか嫌いとか、夢を叶えたいとか、まだ夢を叶える準備ができてないとかさ、これ食べようとかダイエットで食べないでおこーとか、海外に今年こそ行くぞとか、高いから今年は行くのやめようかな、っていう

こんな自由に選択できる生活の前に、戦争に行かなければならなかったりね。

戦争という大きな惨事じゃなくても、金銭面の問題、病気などは自由を制限したりする。

しかも、彼女の場合はその健康に制限がある上でこの言葉を言っているんですよね。

自分の与えられた自由を数えていく。

これが幸せな気持ちになれる魔法。

セイボの花言葉

困難に立ち向かう強さ。

人生は、エンターテイメント。

先日、元赤坂芸者そして作家の千代菊さんとお話しさせていただきました。

改めて今聞くとなんとも昭和の匂いプンプンで。

のっけから、誰もが知る有名政治家が胸を鷲掴みに触ってきたと語る。

もっと面白いのが、それを語る千代菊さん。

「何よあんた。気持ち良いじゃない。」

これだから、赤坂で芸者として残って来れたのか、これも昭和という時代だったのか。

この、あまりにも普通だった昭和の常識が今では非常識になり。今はそれを題材にしたテレビドラマまでできちゃうくらいで。

また時代が巡りめくって、今の常識が非常識な時代が来るのだろうな。

私はね、学生時代からいつでも問題児で過ごしてきたのですが一つだけ自分を自慢に思ってきたものがあって。

それは、流されない。というもの。

ま、これがあったからこそ苦労した方が多かったんだけれど。

先生の言うことを間に受けない。

マスコミに踊らせられない、とか。

と言うより、何が真実かはあまりこだわらなかった。

誤解のないように。

もちろん、今の性加害問題、戦争やいじめ問題が真実か否かどうでも良いと言っているわけでは決してなく。

コロナです、地震が起きそうです、少子化です。それに伴って対策はこうしましょうああしましょうと言うのもあまり信じない。

そもそも、少子化がそんなに未来にネガティブな事を引き起こすかなんてなってみないとわからない。

地震は、避けずにはいられない地球の変化。

テレビでやらせがあったりさ。

やらせも、嘘も、先生の間違った常識も面白いと思えば面白い。

それで、人が傷つく事なければね。

人って、自分ね。自分さえ傷つかなければ一つのエンターテイメント。

でも、それを真剣に間に受けて、そして怒って、そしてその発信元や相手を攻撃して。

「嘘いうな!」「信じていたのに!」「愛してたのに」

でも、信じたというのも選択なんですよね。嘘つきが悪いというより、それを信じるかどうかが重要。
もちろん、嘘つくとそれなりの原因結果を作るので嘘ついて良いと言っているのではなくてね。

ましてや、やらせの番組をもし仮に本当だと信じてテレビに釘付けで見ていたのならそんな楽しい時間をくれたやらせに感謝ですよ。

恋愛だってさ、裏切られたとしても人を愛したと言う経験はかけがいのない人生の財産になると思う。それがその人の深さを作るなら愛した事ない人より、よっぽど人生を生きてる感じがする。

エンターテイメントのない人生ほど虚しいものはない。と思う。

だって、すべては想像力だからと思うから。

いじめも、ふんぞり返った政治家の法律も、恋愛も想像力があればどんなにか相手の事を思いやれるか。

ニュースも、やらせも、嘘つきもエンターテイメント。

もっと言ったら、人生そのものがエンターテイメント。

それを信じるかが、私たちの選択の自由! 

真実を追求しすぎて絶望するのが嫌で何もしないなら、色々な思いや経験を楽しむ人生。そんなのが私は好き。

それが本当の意味での使命のような気がする。

一瞬一瞬、命を使ってるってね。

思った願いはなんでも体験できるもの。

私のお友達の椿さんは、俗にいう見えないものが見えてしまう人。

お葬式でも、「あ、本人が棺の横に立ってる」とかさらっと言っちゃう人。

で、今回はそんな彼女が15年前にイタリアで経験した異次元に行っちゃった話をしてくれました。

そこでの話は、ぜひ動画を見ていただければと思います。

でね、100のはなって子どもがいない女性や、家族に問題がある方をテーマに取り上げているので私としてはここにどうにか結びつけたい。

一昔前では、ドラマの中の親子げんかで

「好きであんたの所に生まれてきたわけじゃないのよ。」

なんて言っちゃっていたけれど、

最近では、子が親を選んで生まれてくるという説も段々一般化してきたように思います。

それもそーだし、人生そのものもね。

そこで、毒親育ちの子どもなら疑問に思う。まさかーーって。

そして、子どもが人一倍大好きで卒アルには必ず将来は保母さんになるますって書いていた私が子どもができないという選択をしてこの世に来た意味。

ここ何年かは、その答え探しをしたり。と言っても、ここで立ち止まっているわけではなく、これがむしろ原動力となり、色々なものにも挑戦している訳なのですが。

そして、今回の100ばなcafeでは話題は、パラレルワールドにもなりました。

何個も何百もあるパラレルワールドの延長線上に過去も未来も存在していてそしてまた、それを選んでいるのも私自身で。

でね、ある日まさにそのパラレルワールドをちょっとのぞいちゃった日があってね。

居たんですよ。会ったの。本当に。

私の息子。

あるご夫妻に招かれて夫婦で帰ってきたその夜。

本当に好青年となって、感じの良い男の子くんのエネルギーがふっと玄関先のポーチで夫がドアを開けている時に。一緒に待ってたの。私の隣に。

今でもしっかり顔を覚えています。

何が何だか分からないけれど、私はその子に

「よく育ったなー。日本語も英語も綺麗に喋れて、マナーもあってまるで私の子ではないかの様、パパ似だなって。良い子だな。」

そんななんとも言えない胸が熱くなる瞬間でした。

そして、そのエネルギーが消える瞬間も寂しくないの。

バイバイと普通に離れました。

この、ずっと育ててた感。親になったことないのに親心にひたる思い。これはね、妄想の世界を超えていたのです。

その夜、こんな風にパラレルワールドにいつでも出入りできたのなら孤独で寂しいとか、あの時ああだったらなんて後悔なんて何にもないなって妙な安堵感と共に私は、静かに眠りにつきました。

バイバイね、そしてまた会おうね私の息子くん。