毒親母からの幸せの発見
題名通り、私の母は毒親または最近の言葉で言うガチャ親です。
かつて母は、教師をしており人付き合いも良い方で、私は40代になるまでそんな風に母を感じた事はありませんでした。
むしろおかしいのは、自分だと思っていたので。。。
そこから、私の人生に影響が出てきてようやく母は毒親?と気づくのです。
今回はお正月の親戚との集まりの中での大きな気付きをシェアしたいと思います。
食卓では、母やおばさん(母の妹)、いとこ夫婦に私の夫という母にとっても私にとっても、大好きな人、心が安全でいられる集まりでのエピソード。
場は、母と私たち夫婦、3人で他のいとこを訪ねに行った旅行の話になりました。もう10年以上前の話。
「あんな美味しいお米は食べた事ない。」と、外国人の夫。
「えーそんなお米(取り立てのお米)食べてみたい〜。」とみんな。
「お餅をいっぱいご馳走になったんだけれど、ある人によく食べるねって言われたことが嫌だったわ」と母。
本当に、よく食べていたんだけどね。(苦笑)
「そういえばあの時、あなた(私)がいとこのお姉ちゃんに失礼な事をしてその謝まりの文を後から手紙書いたのよね。」
シーン。会話が止まる。
場が白けているのに気づきもせず、「なんでだったっけなぁ?」と続ける母。
その後ろで私に密かにそんな事はないと思うよとジェスチャーで伝えるいとこ。
ここで、いつもとは違うハプニング。
「覚えてもいない事を、今話さなくても良いよ。」と初めて軽い反撃をする夫。
そしてキョトンとする母。
今思うとね。これって本人にとっては、
何でもいいから ’頭に浮かんだ過去の出来事’ を口にしているだけなんです。
しかも、母の場合事実の出来事ではないケースも多々あるのです。
元々は、ただ会話をしようと思っただけ。そこに尽きるんです。
いや。違う。ただ会話をしようと思っただけと言うかね、その母の真意を辿っていくと
母の中では、常に良いか悪いか、劣ってる娘と補う母みたいな会話の流れがあるのです。彼女の無意識のうちに。
誰かにお餅を食べすぎだと言われ、それを長年根に持つ母。そしてその会話が出るたびに母を庇う様な話の持っていき方をしなきゃと強迫観念が頭をよぎる。
小さい頃から、過去の話をすれば必ず、あなたはあんな事をしたこんな事をしたと常に悪いところにしか焦点を当てて話さない母。
それが普通。そして自信を失う私。
母の話には軸というものがないので、感情で話す母が基準だった、その母から育つ私にも考える軸というのがないのです。
でも。これ私もやっている。
夫との何気なく始まった会話の中で、あの時何であれをしてくれなかったの?
そして険悪なムードに。あれ?何でこんな会話してるんだっけと。
今、やっとやっと気づくのです。
「その過去の話が古ければ古いほど、ネガティヴな振る舞いや出来事について指摘される事こそ、傷つくし嫌な気分になるものはない。」
そんな夫の言葉。そして自分の内にいる母に気づく。
’ポジティブに焦点を当てて話をする。’
なんて、シンプルな、ワクワクする事でしょう。
多くの人には当たり前な、この発想に、やっと今気づくのでした。