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Blog – ページ 2 – 100のはな
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誰かがあなたを愛している。アトピー性皮膚炎と生きる彼女。

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

今回は、前回のヒヤシンスちゃんの続きを動画にしました。

30才目前に大失恋し、婚活の為九州から東京に上京する。

マッチングアプリでは、100人近い、いいね!

40人近くの男性とデートをしてきました、とう彼女は当時、週2回は違う男性と会っていたそうです。

そこで、もういいかなと思っていた時に道端で知り合ったアメリカ人と恋をして。

彼との結婚話が出たものの結局、コロナがきっかけでお別れしたそうです。

元彼の結婚の条件はアメリカで暮らすのならば年収600万は稼げる基盤を作ること。そんな条件をつける彼自身がエリートだったというのもあるようです。

彼女は、なんとかそれに向かって道を進めているところでした。

そんな彼女。実は、生まれた時から重度のアトピー性皮膚炎に悩まされ小学校時代はひどいいじめにあったとの事。

アトピーが悪化した頃には、特別養護学校に一時転校するほどだったとの事でした。

「そういう訳で、私はポジティブにならざるを得なかった。」

あれ? なんか違うぞ。ここで、

「そうゆう訳で私はどうもネガティブになってしまったのです。」

というのではなくてその逆をいう彼女。

考えてみたら、そもそも年収600万をアメリカという外国で稼げるようになれと言われて文句を言わず挑む彼女。

しかも、大失恋を理由に結婚を夢見て上京し、週2回 Mr Right を探し求め、違う男性とのデートを続ける。

よく話を聞けば、昔1人でバックパッカーで世界を周ったそうで。

このポジティブ思考なんだろう。

その答えは簡単。

親御さんの愛です。どんな時でも、彼女を100%愛してくれたご両親。そしてここが重要なんだけれど、どんな親も子どもを愛していると思うのですが

問題は、その親の愛は子どもが喜ぶ愛の表現だったかというもの。

愛にも色々あって、自己愛からくる子どもへの愛。自分の人生の目的を失ってしまったから見つけた子どもへの愛。もうこうなってくると、愛なんだかコントロールなんだかわけ分からない。

とにかく、親から愛をもらった子どもはその後の人生、どんなものにも立ち向かう強さがあるように思います。

以前オーストラリア人のニックヴイチチさんの動画をみたことがありました。生まれた時から四肢がなく手足が胴体にくっついている状態。

そんな彼は自殺を考える程の苦悩があったものの、結局最後には両親の愛、そして両親への感謝を思い出し成人してからは手足がないまま登山やスキューバダイビングなどに挑み世界各国で公演をし数々の名言を残してきました。

やっぱりね、親の愛なんだな。それに勝る強さはない。

だよね。。。。。。。。。。。。。。やっぱそっか。。。。。。

じゃー私のような、親の愛がめちゃくちゃだった子どもはどうなる?

それはね、親じゃなくても良い。

それがおじいちゃんでもおばあちゃんでも、近所のおばちゃんでも、兄弟でも先生でも誰か1人特別な愛を幼少期にくれていれば必ず愛にもどる。

。。。やっぱそっか。。。

自分で言いながら、私にはそんな人いたっけと自問自答する。

いいの。そういう人がいない場合は、何かでもいい。

私は、エレクトーンだった。

母の死ぬだのしのーだのの叫びを聞いて。仕事の忙しさで父は不在。そんな時、無性にエレクトーンを弾いていた。それが私の変わらぬ愛だったのかも。

じゃーそれも持っていなかったら?

いいの。いいの。

結局のところ。

今こうして私もあなたも人間として生まれてきたでしょ。

これがもう、愛の塊。

だと私は思います。

宇宙に、銀河に、動物に、地球の母に、父に愛されているからこそ今私たちはここに存在しているのだと私は思いました。

毒親母からの幸せの発見

題名通り、私の母は毒親または最近の言葉で言うガチャ親です。

かつて母は、教師をしており人付き合いも良い方で、私は40代になるまでそんな風に母を感じた事はありませんでした。

むしろおかしいのは、自分だと思っていたので。。。

そこから、私の人生に影響が出てきてようやく母は毒親?と気づくのです。

今回はお正月の親戚との集まりの中での大きな気付きをシェアしたいと思います。

食卓では、母やおばさん(母の妹)、いとこ夫婦に私の夫という母にとっても私にとっても、大好きな人、心が安全でいられる集まりでのエピソード。

場は、母と私たち夫婦、3人で他のいとこを訪ねに行った旅行の話になりました。もう10年以上前の話。

「あんな美味しいお米は食べた事ない。」と、外国人の夫。

「えーそんなお米(取り立てのお米)食べてみたい〜。」とみんな。

「お餅をいっぱいご馳走になったんだけれど、ある人によく食べるねって言われたことが嫌だったわ」と母。

本当に、よく食べていたんだけどね。(苦笑)

「そういえばあの時、あなた(私)がいとこのお姉ちゃんに失礼な事をしてその謝まりの文を後から手紙書いたのよね。」

シーン。会話が止まる。

場が白けているのに気づきもせず、「なんでだったっけなぁ?」と続ける母。

その後ろで私に密かにそんな事はないと思うよとジェスチャーで伝えるいとこ。

ここで、いつもとは違うハプニング。

「覚えてもいない事を、今話さなくても良いよ。」と初めて軽い反撃をする夫。

そしてキョトンとする母。

今思うとね。これって本人にとっては、

何でもいいから ’頭に浮かんだ過去の出来事’ を口にしているだけなんです。

しかも、母の場合事実の出来事ではないケースも多々あるのです。

元々は、ただ会話をしようと思っただけ。そこに尽きるんです。

いや。違う。ただ会話をしようと思っただけと言うかね、その母の真意を辿っていくと

母の中では、常に良いか悪いか、劣ってる娘と補う母みたいな会話の流れがあるのです。彼女の無意識のうちに。

誰かにお餅を食べすぎだと言われ、それを長年根に持つ母。そしてその会話が出るたびに母を庇う様な話の持っていき方をしなきゃと強迫観念が頭をよぎる。

小さい頃から、過去の話をすれば必ず、あなたはあんな事をしたこんな事をしたと常に悪いところにしか焦点を当てて話さない母。

それが普通。そして自信を失う私。

母の話には軸というものがないので、感情で話す母が基準だった、その母から育つ私にも考える軸というのがないのです。

でも。これ私もやっている。

夫との何気なく始まった会話の中で、あの時何であれをしてくれなかったの?

そして険悪なムードに。あれ?何でこんな会話してるんだっけと。

今、やっとやっと気づくのです。

「その過去の話が古ければ古いほど、ネガティヴな振る舞いや出来事について指摘される事こそ、傷つくし嫌な気分になるものはない。」

そんな夫の言葉。そして自分の内にいる母に気づく。

’ポジティブに焦点を当てて話をする。’

なんて、シンプルな、ワクワクする事でしょう。

多くの人には当たり前な、この発想に、やっと今気づくのでした。

80才になったって欲しいものは欲しい!!!

今回はなんと、御年88才という100のはな最年長のインタビューイーさんに来ていただきました。

88歳の彼女に、

子ども今でも欲しいですか? と聞くと

それは欲しかった。

生まれ変わったら欲しいですかと聞くと、

絶対欲しいわね。

と。

はい、80才にもなるとね、もう全て手放せるんですよ。

夢が叶ってなくても幸せなんですよ。

そんな風に言ってくれるんじゃないの?

なんてね。

これは、子どもの問題じゃなくても

結婚とか、子どもを持つとかじゃなくても、何かまだ叶わぬ夢を持っている人、またはいつか老後を迎える人、要するに誰もが聞きたい言葉は、

はい、80才にもなるとね、もう全て手放せるんですよ。

夢が叶ってなくても幸せなんですよ。

って、言ってもらいたい。

小さい頃に母親(当時30代、40代)や大人をみて、

なんて大人なんだろう。大人になると、お友達と喧嘩したり、落ち込んだりしないんだろうなぁーって思ったことありませんか?

でも、実際に50代になってみるとよくよく考えてみると実は小学校の頃と変わらぬ悩みを持っていたりするんです。

比較をして拗ねたり、羨ましがったり、愛されたいオーラを出しまくりすぎたり 等々

でもね、大人になっても悩むものなのだ。

人間だもの。

叶わぬ事を抱いていても、人生は進んでいくものなのだ、そして時に落ち込んでもいたし方のないものなんだって思ったら、

逆に今の自分を受け入れらるものなんだと私は思うんです。

受け入れると、楽になるんですよ。何事もね。

全然克服してないですよ、今でも叶えたいですと言いつつ、88才の今が一番幸せですと答えるフリージアさん。

むしろそれこそが、克服された方の生き様のような気がしました。

フリージアの花言葉

感謝。生かされている事に感謝。様々な経験をされたフリージアさんがそうおっしゃると生きるという事が愛おしく思えてきます。