思った願いはなんでも体験できるもの。
私のお友達の椿さんは、俗にいう見えないものが見えてしまう人。
お葬式でも、「あ、本人が棺の横に立ってる」とかさらっと言っちゃう人。
で、今回はそんな彼女が15年前にイタリアで経験した異次元に行っちゃった話をしてくれました。
そこでの話は、ぜひ動画を見ていただければと思います。
でね、100のはなって子どもがいない女性や、家族に問題がある方をテーマに取り上げているので私としてはここにどうにか結びつけたい。
一昔前では、ドラマの中の親子げんかで
「好きであんたの所に生まれてきたわけじゃないのよ。」
なんて言っちゃっていたけれど、
最近では、子が親を選んで生まれてくるという説も段々一般化してきたように思います。
それもそーだし、人生そのものもね。
そこで、毒親育ちの子どもなら疑問に思う。まさかーーって。
そして、子どもが人一倍大好きで卒アルには必ず将来は保母さんになるますって書いていた私が子どもができないという選択をしてこの世に来た意味。
ここ何年かは、その答え探しをしたり。と言っても、ここで立ち止まっているわけではなく、これがむしろ原動力となり、色々なものにも挑戦している訳なのですが。
そして、今回の100ばなcafeでは話題は、パラレルワールドにもなりました。
何個も何百もあるパラレルワールドの延長線上に過去も未来も存在していてそしてまた、それを選んでいるのも私自身で。
でね、ある日まさにそのパラレルワールドをちょっとのぞいちゃった日があってね。
居たんですよ。会ったの。本当に。
私の息子。
あるご夫妻に招かれて夫婦で帰ってきたその夜。
本当に好青年となって、感じの良い男の子くんのエネルギーがふっと玄関先のポーチで夫がドアを開けている時に。一緒に待ってたの。私の隣に。
今でもしっかり顔を覚えています。
何が何だか分からないけれど、私はその子に
「よく育ったなー。日本語も英語も綺麗に喋れて、マナーもあってまるで私の子ではないかの様、パパ似だなって。良い子だな。」
そんななんとも言えない胸が熱くなる瞬間でした。
そして、そのエネルギーが消える瞬間も寂しくないの。
バイバイと普通に離れました。
この、ずっと育ててた感。親になったことないのに親心にひたる思い。これはね、妄想の世界を超えていたのです。
その夜、こんな風にパラレルワールドにいつでも出入りできたのなら孤独で寂しいとか、あの時ああだったらなんて後悔なんて何にもないなって妙な安堵感と共に私は、静かに眠りにつきました。
バイバイね、そしてまた会おうね私の息子くん。